説得力は「話の内容」「聞く人の気分」「話し手の人柄」で決まる

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「正しいことを言えばわかってもらえる…わけではない。」ことに気づいたのは社会人になってからだ。今回は「説得に必要なこと」について書こうと思う。実体験から言うと、正しい主張より強いものが3つある。

1.声が大きい

切々と真実な思いを語るより、堂々といいかげんな話をする方が攻撃力が高い。

2.話が面白い

真剣な話をしている時に、それを茶化すようにして笑いにもっていき、聴衆の関心を自分に仕向けて本題に戻れなくすることができる呪文。面白い話をするかわりに、キモい話、コワい話をしても同様の効果を得られる。

3.感情的である

泣きわめく、怒鳴り散らす。
まるで何かに取り憑かれたように見えることから、おそらく召喚魔法だと思われる。この呪文に勝てる相手はいない。ただし、すべてを失う呪いの呪文である。ていうか呪文というのは「呪いの文」である。

上記3つの呪文が使える人は意外に多い。呪文を使える人が多い証拠に「パワハラ」という名前の呪文は社会問題にもなった。パワハラを唱えるのがうまいチームには「ブラック企業大賞」という賞が与えられる。

「主張が通らない。」僕はこのことでとても困ったけど、こうした悩みを持っている人は多い。身の回りにもいるし、なにせ古代ギリシャ人も悩んでいたのだ。人類は、何千年間もおなじ問題で悩んでるのだ。

困っているのは現代人も古代ギリシャ人も同じ

紀元前5世紀半ば、イタリアのシチリア半島シラクサで独裁政権が崩壊した。国に没収されていた土地が返還されるにあたり、どこの土地が誰のものなのかをめぐる訴訟が頻発。当時は弁護士なんていない。各自で私有地を主張しなければならない。裁判を有利に進めるためには、上手な話し方を学ぶ必要があった。これが「弁論術」のはじまりだと言われている。

「んなこと言ってもオラたち百姓が弁論なんて頭さいいことでぎるわげねぇ。」そこで活躍したのが、金をもらって代わりにしゃべくるソフィストたちだ。彼らが得意としたのは、呪文だ。とにかく聴衆を煽った。時に興奮させ、怒らせ、泣き落とし、本題そっちのけで、いかに裁判官を言いくるめるかに邁進していた。

そんな状況にキレたのが哲学者「プラトン」と「アリストテレス」だ。「奴らの話は詭弁(騙し)である。俺が、本物の弁論ってもんを教えてやんよ!!」

彼らは、説得方法の本体に当たる説得推論については何一つ語っておらず、大部分の労力を当面の問題とはかけ離れたことに当てているからである。なぜなら、中傷とか憐れみとか憤りとか、その他、心が抱くこの種の感情は、当面の問題にはなんの関わりもなく、ただ裁判官の気持ちに狙いをつけているにすぎないからである。

『弁論術』

そうして書かれたアリストテレスの「弁論術」は、本気度がにじみ出ており、たいへん難解な書物だ。だから、解説書を通して骨子を把握したいと思う。

説得に必要な3つの要素

前置きが長くなったが、ここからが本題。アリストテレスによれば、説得力を決める要素は3つある。

1.話の内容の正しさ(ロゴス)
2.聞く人の気分(パトス)
3.話す人の人柄(エートス)

1.話の内容の正しさについて

話の「正しさ」(ロゴス=ロジック、論理)とは科学的真実ではない。正しさとは「みんながそう思っている常識」または「偉い人がそう言っていること」だ。つまり人が聞いて納得のできる話こそ正しい。

逆に、真実でも弁論としては正しくないことがある。たとえば、当時は「太陽が回っている」天動説が常識だ。現代科学では地動説が正しいことがわかっているけど、当時の人に地動説を根拠に主張を展開しても納得はしてもらえない。これでは相手を説得するという目的が果たせないから、弁論としては失敗である。そもそも、地動説も正しいとは限らず、未来には否定されているかもしれないのだから、聞く人な合わせて話を展開するのは当たり前かもしれない。

時代性や聴衆の人柄を考えて、みんなが納得している常識から話をスタートし、納得を積み重ねていくことで、ゴールである自分の主張について納得してもらう。というのがアリストテレスの弁論術だ。

常識からスタート、説得がゴール

1-2.正しい話の作り方「説得推論」

すでにみんなが納得済みのことを元にして、それに新しい主張を繋げることで、主張の正しさを証明するのが「説得推論」だ。弁論術のメインのテクニックになる。基本は「~だから~」という形になる。

「彼はとても優秀だ(すでにみんなが納得していること)」
「だから今度のテストでもいい点を取れるはずだ(新しい主張)」

こうすることで、ただ主張をするよりも、みんなが納得できるようになる。イメージは接ぎ木だ。

接ぎ木

説得推論にはいくつかのパターンがある。これを「トポス」という。たくさんあるので一部だけ。

既決のトポス

「前回の会議でこのように決まりました(すでに納得していること)。だからこうしてください(新しい主張)。」

比較のトポス

「俺よりあいつの方が器用だ(納得していること)。だから俺にできるんならあいつには楽勝だよ(新しい主張)。」

善のトポス

友達がサッカーで骨折した(納得していること)「これも何かの機会だから、ゆっくり休んでまた頑張ろう(新しい主張)。」

悪のトポス

自分の子どもがサッカーで骨折した(納得していること)「これも何かの機会だから、そろそろサッカーは辞めて勉強に集中しなさい(新しい主張)。」

善のトポスと悪のトポスは、同じ事実から異なる主張を展開している。すべての出来事には、良い面と悪い面がある。そのどちらかを強調することで、どんな主張にも展開できる。

弁論術は、弁証術における推論がそうであるように、相反する主張のいずれについても説得できることが必要とされている。

『弁論術』

極端な例をいえば、弁護士はどんな凶悪な犯罪者でも弁護しなければならない場合がある。その時、あえて犯人の悪い部分には目をつぶり、なるべく刑が軽くなるようにその人の生い立ちだとか、経済状況だとか、反省しているんだとか、そういった良い面にクローズアップして論を展開しなければならない。

良い面と悪い面、どちらを見るかは本人の認識によるところが大きい。

弁論は、言葉を使った将棋や囲碁、サッカーのようなゲームだ。善悪のトポスのように、どのようにも展開ができるその自由さが、主張のぶつかり合う時に有利に働く。

たかがゲームではあるが、その勝敗によって、自分の所有や金銭、権利などが大きく左右されることがあるのが、弁論の特徴である。

2.聞く人の気分について

アリストテレスの弁論術は、話の内容の正しさにもっとも力を入れるべきだとしつつも、聞く人の感情面に訴えること(パトス=パッション、情熱)も必要だと説いている。

なぜなら、冒頭に述べたように、正しい話よりも強いものがあるからである。また、政治や裁判、会議など、聴衆が話の是非を決定する場面も多いからだ。

たとえば、漫才や落語もそうだ。漫才や落語は聴衆がその内容を評価する。いかに聴衆から「面白い」という感情誘導をできるかが噺家の腕の見せ所であり、それが地位や収入に直結する。

多くの聞き手は、自分がどういう感情かで判断を変える。論理的な正しさより、感情的な正しさを優先する。これは弁論においても同じである。だから、古代ギリシャにおいてソフィストたちは聴衆を感情的にすることだけに力を注いできたけれど、アリストテレスの弁論術においても、感情面に訴えることを補助的に使用する。

われわれは、苦しんでいる時と悦んでいる時とでは、或いはまた好意的である時と憎しみを抱いている時とでは、同じ状態で判定を下すとは言えない。

『弁論術』

あくまでも、感情に訴えるのは補助だ。主力は話の内容の正しさ。これを逆にしてしまうと、まるでズボンの上にパンツをはくようなもので、すべてが台無しになる。

2-1.感情に誘導する

先ほど「トポス」の説明の際に、同じ事実から別の主張が展開できることに触れた。

たとえば、サッカーで骨折した友人に対して、あなたは「また復帰してほしい」と望み、別の人は「この機会にサッカーを辞めて勉強に専念してほしい。」と望んだとする。

主張が真っ向からぶつかっているので、話の内容の正しさを証明するだけでは決定力になりそうにない。そういう時に、聞き手の感情に訴えることを補助的に使う。使い方によっては相手を傷つけることにもなる力の強いものなので、簡単に説明していく。

2-1-1.怒りの感情への誘導

反対の主張をする人に対して、怒りの感情を抱かせる。そのためには、反対の主張をする人が「ワケもなく」「あなたを軽蔑している」という印象を与えることだ。

「あの人はね、あなたのことを何も理解してないよ。とにかくサッカーをやめさせたいだけなんだ。」

2-1-2.友愛の感情への誘導

私はあなたの味方だということをアピールする。そのためには、価値観を共有する必要がある。聴衆の友が自分の友であり、聴衆の敵は自分の敵でもある状態。政治家が街頭演説でよく使っている。

「○○市のみなさん、こんにちは!今日はこんなに多くの方々に集まっていただきありがとうございます。この街は私にとってとても思い出深い街。というのは…」

2-1-3.恐れの感情への誘導

身に迫った危機があることを示して、相手の感情に訴える。この時、危機を持ち込む恐ろしい存在は「大きな力」を持っている必要がある。ヒトラーがユダヤ人を非難したのも、国民の恐れの感情を巧みに利用している。

「ユダヤ人は世界の金融を牛耳っており、我々の経済を混乱に陥れようとしている。」

感情に訴える際に気をつけなければならないことは、「理由をつけてはいけない」ということだ。「~だから怒るべきだ。」という理由をつけたとたん、シラけてしまう。感情は理屈ではない。

聞き手の感情に訴えようとする場合には、説得推論を用いてはならない。さもないと、感情を追い出してしまうか、説得推論が無益な議論に終わるかするであろうから。なぜなら、同時に生じた運動は、相殺しあって互いを消滅させるか、或いは力の弱いものにするか、そのいずれかであるから。

『弁論術』

3.話す人の人柄について

何かを主張する時に、話す人の人柄(エートス=信頼)が聴衆の判断に与える影響は大きい。いい人のいうことは、いいことのように思えてしまう。CMで有名タレントを起用するのは説得力を上げるためである。反対に、何かのスキャンダルがあった場合には、そのタレントを起用したCMは容赦なく契約を切られる。タレントの言うことがすべて胡散臭くなって商品のイメージダウンになるからだ。

人柄の優れた人々に対しては、われわれは誰に対するよりも多くの信を、より速やかに置くものなのである。このことは一般にどんな場合にも言えることであるが、とりわけ、確実性を欠いていて意見の分かれる可能性がある場合にはそうする。

『弁論術』

人柄の良さのアピールは、3つのことで決定される。

1.聴衆への好意
2.徳
3.フロネシス

3-1.聴衆への好意

先ほど述べた「友愛」の感情を示すことである。

3-2.徳

アリストテレスのいう「徳」とは以下である。

正義、勇気、節制、気前の良さ、度量の大きさ(器が大きいこと)、鷹揚(大きな支出をいとわないこと)、フロネシス(最善の選択をできること)。

これらを備えている人は、その言うことにも説得力が生じる。様々ある「徳」の性質だが、一言でいうと「美しいもの」である。美しい行いはその人の人柄を良く見せる。

徳の徴をなすものや、善がもたらす活動の成果、もしくは善の属性をなすようなものは美しいものであるから、必然的に、勇気の徳の活動成果、或いは勇気あることの徴、或いは勇気ある行為を表しているものも美しいし、正しいことや正しくなされた行動も美しいということになる。

『弁論術』

3-3.フロネシス

その場その場でベストな選択ができることがフロネシスだ。先ほど「徳」の説明にも出てきたが、アリストテレスはフロネシスを特に強調している。

ベストな選択をするためには、論理的な考え方が出来ることが前提だ。どれがより良いかについての説得力を持った意見をだせること、つまり説得推論を身につけている必要がある。

説得推論を使って主張する
↓↓↓
徳を感じさせる
↓↓↓
話し手の印象アップ
↓↓↓
説得力アップ

ただ感情に訴えることに上手いだけでは、聞いている人は話し手に徳を感じることが出来ず、ひいては話し手への信頼にも関わってくる。

感情に訴える
↓↓↓
徳を感じない
↓↓↓
話し手への印象ダウン
↓↓↓
説得力ダウン

おわりに

説得に必要なのは、以下の3要素である。

1.話の内容の正しさ
2.聞く人の気分
3.話す人の人柄

現代は武力による被害は受けることが少なくなったが、言葉による被害は、表現の自由の保護を受けて、またネットの普及によりどんどん増えてきている。だから、自分で自分の身を守る技術が必要だ。

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